ワッフルと宝塚のブログ

宝塚がある世界に乾杯

柔軟なはずの宝塚へのとある疑問

 今回の疑問は、「宝塚で使用する楽曲について」なのですが、

 その前に、宝塚がコンスタントに円盤を発売してくれるきっかけになったところから軽く振り返りたいと思います。


 植田紳爾先生のとある著書で、 宝塚の舞台の映像化(当時はビデオ)は、震災がきっかけだと記されていました。


 どんなときでも宝塚を見ることができるようになれば、人々の活力となり、震災復興の役目を果たすのではないか。
 映像化したら、客足が遠のくという反対意見を押しきってくださり、宝塚は現在のように映像化され、販売されることになりました。

 そのおかげで、わたしたちは今、 千秋楽を迎えた舞台の円盤を次々と手にすることが出来、 家でいつでも宝塚の世界を堪能できることとなったのです。



 わたしは、 他にどんな娯楽があろうと、 宝塚でしか埋められない心の居所があります。
 それゆえに、震災の際の大きな決断が長年続いてくださっていること、本当の本当に嬉しく思います。

 外部作品と比べましても、宝塚の円盤販売化率は桁違いですし、これは、とても有難いことだなと実感しております。実感している上で、今回のテーマについてお話させて頂こうと思います。



 まず最初に、舞台とは、「ナマモノ」。 これがかつての常識だったと思います。


 それが、コロナ化に突入した際、 「観客が現地に足を運べない」 という、舞台の致命的な欠点が明るみに出てしまう事態に直面します。

 結果として、宝塚は2020年、およそ4ヶ月間に渡って、 すべての公演を中止・延期するという異常事態が発生しました。


 そして、映画館のライブビューイングだけでなく、 家で宝塚を観れるライブ配信の時代に突入。昔ではあり得なかった、新人公演さえ視聴できる世界になってしまいました。


 ここ数年の文明と生活様式の変化によって、 宝塚も柔軟に、この世界に適応していく様は、さすが100年以上残る文化であると、 感銘を受けています。


 では、なぜそんなにも柔軟な宝塚が、舞台の中身は変化させないのか? という疑問が残ります。


 舞台の中身と言っても難しいことではありません。 疑問に感じているのは、 「版権が難しい楽曲を使用すること」についてです。
 版権が難しい楽曲を使用することは、果たして今の時代に合っているのかどうなのか。


 昨日、フライングゲットしたロマ劇/FS!の円盤をおうちで楽しみました。 この円盤のショー作品である『FULL SWING!』は、さまざまなジャズ楽曲が使用されており、公演が決定したその時から、(版権は大丈夫だろうか……)と、密かに心配していたショーでもあります。


 案の定、版権問題により、 発売日の遅延が発生しました。

 その遅延こそ、版権交渉を頑張ってくださった証でもあり、その情熱は本当に有難いです。おかげさまで、危ぶんでいた鳳月さん中心のジゴロの場面等、大部分の楽曲は差し替え・割愛にはなりませんでした。


 上記の件に関して、とても喜んだのも事実なのですが、 版権をとれない場面もありました。


 それが、 FULLSWINGの中詰め、 マイウェイの場面です。


 この場面、本当に素晴らしかったんです。 今までの宝塚人生をみんなが振り返りながら感情をのせて歌う、本当に素晴らしい場面だったのですが、円盤では、ボーカルカットされています。

 もちろん、オケがあるだけでも有難く、冒頭の英語歌詞はOKなのが幸いだったのですが、それでも、組子総出演のメイン場面が割愛になるというのは、かなりショックな事案でした。


 差し替え・割愛は仕方のないことだと言い聞かせていたのに、実際に再生してみて、 家の中でぽつりと、「あんなに良い場面だったのになあ……」と、声を出さずにはいられなかったです。


 こうなってしまったものは仕方ないですし、「豪華なカラオケ映像が手に入った」と、ポジティブに受け入れてはいるのですが、全ツのフルスイングでは、何かしらの変化を加えて、割愛等が発生しなければいいなと思います。


 だって、カラオケを楽しめるのは、「歌詞が分かっていてこそ」です。


 先述した通り、「コロナ化」である「今」 は、現地に足を運びたくても運べない事情のある方々がたくさんいらっしゃいます。 それは観客の事情だけではなく、未だにコンスタントに起こる、 コロナによる公演中止の影響にもよります。


 宝塚は、100年以上の歴史の中で、 様々な時代に適応してきました。 「ナマモノである舞台」が、公演中止等により数日しか上演出来ないリスクもある 「今」。果たして、楽曲について、もう少し慎重に吟味できないのでしょうか。


 もちろん、舞台は「生の舞台」 があってこそなのですが、この数年で時代は確実に変化してしまいした。

 それなのに、版権問題で、「舞台の再生」ができないのは、このご時世、宝塚側にとっても、わたしたちファンにとっても、大きな痛手ではないかと考えます。



 わたしはマイウェイの場面がとても好きでしたし、割愛があってもなお、「あの場面があってくれて本当に良かった」と思っているのですが、それは「現地に足を複数回運べた側の人間」だからだと思います。

 なんとなく歌詞が分かるから、カラオケ映像になっていても、(こんなふうに素敵だったよな……)と、鼻歌まじりに楽しめているのだと思います。

 歌詞が分からなかったら、美しい場面だな〜と思うと同時に、物足りなさを感じるのではないかと、個人的には思いました。(そんなこと無いよって方々には、的外れな意見を読ませてしまい、本当に申し訳ありません。)



 もちろん、演出家の先生たちの中に、「どうしても使いたい楽曲、歌ってほしい歌詞、やってほしい演目」等があることは悪いことだとは思いません。
 また、演出家の先生たちは、忙しい中、たくさんのことに頭を巡らせていると思います。

 そんな中で、こんな意見は恐らく迷惑でしかないと思うのですが、このご時世です。どうか、「映像化の際に、きちんと使用できる楽曲」 というものに、目を向けてくださったら嬉しいなと思いました。


 宝塚には優秀な、吉田先生や青木先生といった作曲家の先生たちもたくさんいらっしゃるので、宝塚ならではの素敵な楽曲が、 これから増加傾向になっていけばいいな、と個人的には思っています。



 長々と記しましたが、ここまでお読みくださった方々、ありがとうございました。
 これから先、 少しでも、差し替え・割愛というショッキングな事案が、減少していけばいいなと思います。


 また、フルスウィングの版権問題について苦言を呈しましたが、 著作権交渉を頑張ってくださったすべての方々には感謝しかございません。
 素敵な作品を、きちんと発売までこぎつけてくださり、 本当にありがとうございました。割愛は寂しくても、映像として、とても素晴らしい作品に仕上がっていて、夢中になって鑑賞させていただきました。



 いろいろ発言してしまいましたが、これからも、 宝塚の素敵な舞台映像が、 ディスクにより再生できる日々が続くことを、心より願っています。



にほんブログ村 演劇・ダンスブログ 宝塚歌劇団へ
にほんブログ村