ワッフルと宝塚のブログ

宝塚がある世界に乾杯

複雑な乖離とマスコミに善悪を握られる怖さについて


 まずはじめに、私はあまり週刊誌を信じていなかった側の人間なのですが、劇団の会見および報告書が結果ありきのものであったことかつ、その後のご遺族の会見とこれまでの週刊誌の内容に似通った部分があったため、「今回の宝塚の報道について週刊誌が 100%嘘をついていたわけではなさそうだ」というのが私の感じたことでした。



 そのうえで、劇団側が保身に走って「あったことをなかったこと」にしたり、「伝統を盾に問題点があるのに改善をしない」 ならば、自浄作用を促すためにも多少週刊誌を頼ることはもしかしたら必要なことかもしれないと思うようになりました。



 亡くなられた方の声はもう聴くことができませんし、人の記憶や思い出は曖昧に薄れていくものなので、冷凍保存された100%の真実が 100%の形で解凍されることはありません。


 ですが、悲しみのどん底にいらっしゃるご遺族の皆様が必死に娘さんのため、およびこれからの宝塚のために劇団のパワハラ認識について訴えてくださっている今、100%の形ではなくても、近しい形の事実確認や解明などがあってほしいという気持ちがあります。


 パワハラの立証が難しいのはもちろんのこと、外野である私はその有無が分からないため簡単に判断などできません。が、意見が食い違っているのならば、しっかり話し合ってほしいし再調査をしてあげてほしいと思っています。



 ですが、この先の再調査はご遺族の意向にそったものではないかもしれないことが判明し、その再調査には果たして意味があるのだろうかという話なのですが、 ファンがいくら疑問に思っても劇団(というより阪急) 側は頑なです。


 だからこそ、情けない話ではありますが、再調査が正しく行われるためには世間の炎上(それを理由に二次被害を招くような特定の生徒さんへの誹謗中傷は許しがたいのですが、話が逸れるのでここでは割愛)や週刊誌の力も必要なのかもしれません。


 ですが、だからと言って、週刊誌に善悪を握られることは、とても怖いことだと私は思います。


 頑なに変わろうとしない劇団および阪急の自浄作用を促すためには週刊誌やマスコミの力 (そこからの炎上)が必要かもしれないとわかっているけれど、そこに依存し頼りすぎることはリスクを伴います。


 というのも、昨日より団員の方が 「改善要望を訴えている」という報道が文春等でありました。事実か事実でないかはわかりませんが、他の記事は受け入れずともその記事だけは信じる宝塚ファンはとても多いように感じました。


 今まで週刊誌を肯定的に捉えていなかった方々も良い方向で反応していて、つまりは、週刊誌の記事ひとつで、やっぱりこの人は良い人なんだ、とか。この人は最低の人間なんだ、とか。そんなふうに一瞬で印象操作されてしまっているように感じました。


 こういう力が週刊誌にあることは、本当に怖いことだと改めて思います。


 もちろんファンとして劇団の改善を望んでいるので、改善のために苦しいなか奔走してくださっている方々のことはファンとして力いっぱい応援したいですし守りたいです。だから今回の件が作り話とか、そういうことを言いたいのではありません。


 ただ、その情報は本人の口から実際に聞いたものではなく、あくまで週刊誌からの情報です。今回の記事で盲目的になって、この先週刊誌に善悪の全信頼を寄せるのは危ういことだと思いますし、慎重にならなければいけない部分でもあると感じます。


 というのも、会見前など、週刊誌は「見出し詐欺」を用いてまともな団員の方を悪者扱いしていたこともあります。(中身を読めばまともな意見だとわかっても、悪意ある見出しで誤解を招く最悪な手法でした)


 そういう週刊誌の匙加減や気分ひとつで、簡単に誰かを貶められることは、本当に本当に怖いことだと。あのとき実感した怖さはしっかりとここに記しておきたいと思います。



 また、もうひとつ感じたことは、今まで改善を訴えていた宙組下級生たちは名前を伏せられていたのに、今回の件では特定の生徒さんたちの芸名が晒されていました。宝塚ファンにとって有名な方々ばかりです。


 もちろんご本人たちが週刊誌に名指しされることを承諾しているのならそれでいいのですが、週刊誌に名前が登場するということはヒーロー側であってもそれなりのリスクも伴います。 今は良くても、一瞬の何かで、これから先悪い方向でその名前が盛り上がることだってあります。

 ただでさえ疲弊しているだろう彼女たちの名前を、これから先いいように利用しようとする人たちが現れないか。発言がひとり歩きしていかないか。そのあたりのこともとてもとてもとても心配です。


 さらには報道を受けて、トップスターを変えるべき等の声も見かけました。いろいろ思うことがあっての声だとは思うのですが、何より優先されてほしいのはご遺族の要望です。


 というのも、週刊誌やマスコミの報道が過熱していくことによって「世間が求めているもの(加害者とされている方々の退団等)」と「ご遺族の皆様が求めているもの(内々の謝罪や体制改善)」が乖離していく一方のように感じています。



 マスコミが報道すればするほど論点がすり替わったりズレが生じていったり。そのことに対して置いてけぼりにされているご遺族の皆様は今どんな気持ちを抱えているのかと思うと、私はとても複雑な気持ちになるのですが、ご遺族の皆様への誠意ある対応がなされない限り、本当の意味で何も進むことはできません。



 ご遺族の皆様に誠意ある対応を受けてほしい。伝統を盾にしないで変わるべきところは変わっていってほしい。団員の皆様には芸事に集中できる環境になってほしい。そして願わくば、一禾さんがまた宝塚の舞台に立ちたいと心から思えるような、そういう未来があってほしい。いちファンとして当たり前に願うこれらのことが、どうしてこんなにも難しくなってしまっているのでしょうか。


 自分の立場や信じたいものによって見え方感じ方考え方は変わります。だから私の考え方も誰かにとっては腹立たしいものだと思います。それを自覚した上で、全員が納得のいく形なんてもうこの先待ってはいないと思います。それでも、そんな中でも、このタイミングで宝塚を変えたいと。そう思って踏ん張っているご遺族や生徒さん、スタッフの皆様が報われますことをいちファンとして願わずにはいられません。


 まずは再調査の中身から。もう一度考え直しがありますことを心の底より願っています。


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